毎年、1月になると担当の誕生月なのでブログをしたためようと私は精を出す。
だけど、今年は、誕生日ブログが書けない。
物理的な忙しさで書けないのではなく、精神的に書けなくなってしまった。
単刀直入にいう。
私は、"担降り"をした。
かれこれ、応援し始めてから10年以上が経ち、もう降りることはないだろうなと思っていたが、私は次の担当が不在のまま降りた。
振り返ってみれば、1年以上前から降りていたかもしれないが、ようやく私は自分が"担降り"していることを認めたというのが正しいのかもしれない。
彼は、今後何かが起きない限り、最後の担当になった。
私が担降りに至ったのはいろんなことの積み重ねの末のお話なので、とりあえず振り返ってみようと思います。
気持ち的に個人名を書きたくないので、元担当のことは彼と表現します。
- 彼の所属するグループを好きになれなかった
- コンサートの感じが好きではない
- 王道アイドルが根本的に無理だった
- そこにお金を払う価値はあるのか?
- 担当=担当が所属するグループが出すCDはすべて買うもの
- 担当と推しの違い
- 本当にお金を払いたいものに払いたいので"担降り"をする
- 無担当のヲタクになった
- おわりに
彼の所属するグループを好きになれなかった
私が彼を応援し始めたのが2013年。
2016年のブログ(現在は非公開)によると、私は2016年時点でもう彼の所属するグループから担降り(ここでいう担当はユニ担のことである)したと書いていました。
理由は、2016年だとまだ差が大きかった個人仕事の格差がしんどかったのとコンサートの感じが好みでないからと記していました。
この2つは結局降りる最後までしんどかった。
個人仕事の格差については、担降りしていますが、後日、私が見ていた記録としてまとめようと思っております。
でも、個人仕事の格差は、私がグループ全体を好きだったらカバーできていたのではないかと最近になって思います。
グループ全体が好きだったら、フロントで立つメンバーに対してもグループのために頑張ってね!という気持ちで見れたと今となっては思います。
コンサートの感じが好きではない
コンサートの中身もいいな!と思う時だって、もちろんありました。
セットリストでテンションが上がった時や、演出がよかった時もありました。
でも、一番堪えたのは、この間までやっていたツアーで、グループの強みだと自負していたはずのダンスを手放したように見えたことです。
踊っている彼が好きだったのに、フルで通してカッコイイ曲を踊るのは2曲。
顔も見たいのにサングラスかけてるしと、しょんぼりしてしまいました。
踊っている彼からしか得られない栄養素を失ったような気持ちにもなりました。
こんなことは、今回だけだと信じたいが、年齢的な面を考えると今後、成長は見られないと思ったのも担降りの一つの要因です。
王道アイドルが根本的に無理だった
結局、ここに行きつくわけです。
"王道アイドル"
私のアイドルの始まりがそもそも邪道な人たちだったので、私はアイドルに王道さを求めていませんでした。
だからこそ、カッコイイ曲が好きだったし、彼らも老いていくのだから自然と路線が変わるのだろうと思っていました。
しかし、2023年の彼らのヒットソングは10代の男性が歌ってもいいようなド直球王道アイドルソング。
それがヒットしたことをいいことに、今回のツアーでは、コールを呼び掛けて、Tiktok向けのダンスを多数披露しました
もうここらへんで、この人たち、この先も王道のままであり続けるのね。
と私の理想像は粉々に砕けて、担降りの要因になるのでした。
永遠のティーン向けのアイドルは、当の昔にティーンでなくなった私が応援するには苦行の要素となるのでした。
そこにお金を払う価値はあるのか?
ここは私事になるのですが、実は1年以上前に結婚しましてそれをきっかけに生活は一変。
実家暮らしから、独立して、家賃、生活費を自分の給料から出す生活がスタート。
自由に使えるお金はもちろん少なく(といってもわがまま言ってそこそこはあると思うのだが)
どうすればいいのかやりくりする日々がはじまるのでした。
そうなると、自然にこう考えるようになりました。
今、お金を払うそのものにお金を払う価値があるの?
グッズの購入も、厳選するようになりました。
本当にほしいと思ったものだけを買うようになりました。たぶん。
そんな、ある日、ふとドラマの主題歌の曲を聴いて思ったのです。
「え?これでシングルで出されたら、買う価値あるの?」
2023年、事務所内の他のグループでこれはお金を出す価値があるCDが何作かあってそれと比較してしまったのです。
担当が所属しているグループのシングルカットになるであろう曲と。
担当=担当が所属するグループが出すCDはすべて買うもの
私が思う担当とは、担当が所属するグループが出すCDはすべて買うもの。
ライブDVDもすべて買うもの。
担当が所属するグループについて、文句を言わずにイエスマンであることだとなんとなく思っていました。
私は当の昔に文句を言わないところは破っていたのですが、CDとライブDVDは買っていました。
そこだけは、担当としての何かが作用したのと、メディア露出が少なめの彼の新規映像が見たい欲の方が勝って購入していました。
ですが、彼の所属しているグループのCDと事務所内の他のグループでこれはお金を出す価値があるCDを比べたとき、彼の所属しているグループのCDを購入するのはお金の無駄と思ってしまいました。
私はすっかり、端から端まで中身の詰まったトッポのような価値のあるものしかお金は出せないなと思うようになってしまったのです。
ほんの一部だけが良いものにその金額払えるのか?
好きでもない楽曲にお金が払えるのか?
見どころの少ないコンサートにお金が払えるのか?
楽しいはずの担当である彼を応援する活動も、その物差しを出して来たら一気にお金の無駄なのでは?と思う面が出てきたのでした。
担当と推しの違い
私の中で担当と推しは別物として考えています。
担当については先に述べた通りですが、推しについては
担当よりもっと気楽で自分がお金を払いたいときに払えばいい。
すべてを受け入れる必要はない。しんどくなったら、離れてもいい。
そんな感じで考えています。
今のジュニアのグループについては、そもそもすべてのコンサートのチケットを1枚でも取るのが厳しいので行けそうな機会があったら申し込む。
本人のターニングポイントになりそうなときもチケットを申し込むというスタンスで楽しんでいます。
推しだと義務感があまり少ないのに対して、担当となると義務感が生じてくるのが私の中での最大の違いだと思います。
本当にお金を払いたいものに払いたいので"担降り"をする
上記のことから、いつの間にか、担当にお金を払うことが苦行になっていた私は、ようやく"担降り"をしたのでした。
担降りを決めた当初、まだ整理のつかないままの私が思ったことは
これでやっと担当という義務感だけで、好みでもないCDを買わなくて済むんだ!!
という解放感でした。
でも、同時に
私は彼の将来に夢も希望も見いだせなくなってしまったのだと悲しくなりました。
それとまた同時に
私も彼も年を経るにつれて変わってしまったのだな。
いや、もしかしたら彼は変わらずそのままで私だけが変わってしまったのかな。
と思いました。
無担当のヲタクになった
今回、10年以上、心の支えになっていたものから離れようと決めたのですから、心にぽっかり穴が開いたような苦しい気持ちになりました。
次の担当を決めずに降りたのですから、心の支えのない私は大きな虚無感を抱えたのでした。
他の好きなものや推したちで埋めようとしたのですが、かなりの割合で占めていた担当を失うのですから、そりゃあ、虚無感になるのも無理はないかと思いました。
今もまだ平穏に過ごすため、自己防衛をした状態なので、完全に復活しているとは言えませんが、こうして文章に残したかったので筆を執った次第です。
おわりに
今回の担降りは、私の価値観が変わってしまったことが原因に当たるのかなと思います。
担降りするとは私自身今でも思っていなかったので、本当に人生何が起こるかわかりませんね。
今回、担降りを決めた日から、彼の顔があまり見たいと思わなくなったのですよね。
でも、去年発売されたGINGERの連載ページがたまたま目に入った時に
「ビジュアルがいい。やっぱり、好きだな」という感情をようやく抱けたので私も少しずつ新たな関わり方を見つけられればいいなと思います。